三浦春馬のお別れ会

なぜか三浦春馬のお別れ会に出た夢を見た。

 

会場はこの世とあの世の中間みたいな空間だったので、本人も普通にその場にいて、俺もまるで旧知の間柄だったかのように話をした。彼は終始笑顔だった。間近で見ると意外と背が高かった。

 

話していたら「この世とあの世をつなぐポケットWi-Fi代わりになるから、何か小物をくれませんか?」と言われ、なぜか俺はミニカーとかキーホルダーとかそういうおもちゃをたくさんそこに持って来ていたので、いろいろ見せて、どれがいいか決めてもらった。彼はゾイドに出てくるサイ型メカ「レッドホーン」の、小さい小さいフィギュアを選んで行った。

 

いつの間にか彼は姿を消し、供養のような儀式が始まった。

出席者は祭壇のようなものに向かい合い、みんなで泣いた。

mixi日記サルベージ5

2008年08月29日の日記

タイトル: 外国語で書かれた小説の

 

外国語で書かれた小説の日本語訳の文だけが持ち得る、この唯一無二のグルーヴ感はいったい何なのだろうか。特有のリズムとうねりによって、こちらの言語中枢が揺さぶられてしまう感じ。

  

 

 

黝い球の出現は姉と弟とを激しく熱狂させた。部屋は隠れた力でみちた。それは革命部隊の生きた爆弾となり、胸を激情と愛情とで燃え上がらせたあの若いロシア娘の一人となった。

コクトー恐るべき子供たち』 東郷青児訳)

  

 

わたしは、再発性の、そして1959年には、ほとんど慢性化した予感を抱いているが、それはシーモアの詩が第一級のものとして、広くかなり公然と認められたとき(現代詩のコースで指定され大学の書籍部に積み上げられたとき)、大学入試準備中の若い男女がスポーツシャツを着て、一人で、または二人で連れ立って、ノートをかかえ、多少きしむわが家の玄関の戸めがけて勢いよくやってくることになるだろうという予感である。

サリンジャーシーモア―序章―』 井上謙治訳)

 

 

 

もともとの原文の内容がぶっ飛んでいる、訳者の文体や訳し方に問題がある、もしくは時代掛かっている、などといった点を差し引いても、これらには元から日本語で書かれた文にはない、危険なトリップ感がある。「翻訳」という特殊なプロセスを通過して生まれたこれらの文は、もはや日本語であって日本語ではないのかもしれない。

 

 

 

けれどもトニオの母親は、ピアノとマンドリンのひどく上手な、美しい、情の激しい母親には、そういったことすべては全くどうでもよかったので、忌明けを待って再婚してしまった。しかも相手はある音楽家、イタリアの名前の巨匠だった。彼女はこの人と一緒に空の青い南の国へ行ってしまったのである。トニオ・クレーゲルはこれを少々だらしがないと思った。

トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』 高橋義孝訳)

 

 

「僕、カール・ロスマンという名前で、ドイツ人なんです。僕たちはこうしてごいっしょの部屋にいるんですから、どうぞ、あなたがたもお名前と国籍を言って下さいませんか。早速まず申し上げておきますけどね、どうせ僕はずっと後でやって来たんだし、それに寝る気もないんですから、いまさらベッドをゆずってくれなんて要求はしませんよ。それからですね、僕がりっぱな服を着てるからって、気を悪くしないでいただきたいのです。これでも、僕、すっかり文なしで、どうしたらいいか途方にくれてるところなんです」

カフカアメリカ』 中井正文訳)

 

 

しかし1970年には、疲れてはいるが、ひょうきんな点では疲れ知らずの英文科の教師の誰か ――それがわたしでないとは言いきれぬ、神よ助けたまえ―― が、シーモアの詩と俳句の関係はマーティニのダブルと普通のマーティニの関係のようなものだなどという大論文を書きそうな可能性がつよいので、わたしはうんざりしてくる。

サリンジャーシーモア―序章―』 井上謙治訳)

  

 

 

「正しい日本語」や「美しい日本語」がどうあがいても出せない、日本語の斜め上を浮遊するような魅惑的でサイケデリックな感覚。でも、それと同時に日本語という言語の芯に触れるような感じもするから、全くもって不思議だ。結局は文法構造(特に修飾方法)上の違いが産む結果だとは思うが、まあたとえそれがどうだろうと、この危ういバグ感とドライヴ感はときどき味わいたくなる。そんなときはまた日本語訳の小説を手に取るのだろう、きっと。

 

 

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2008年の日記。言いたいことはわかるけど、mixiで書くことじゃないだろこれ。だいぶ気持ち悪い人な感じになっている。

 

しかしこの「外国語で書かれた小説の日本語訳」のグルーヴ感は、100年先でも有効な気がするが、どうだろうか。期待しすぎだろうか。

mixi日記サルベージ4

2007年02月23日の日記

タイトル: なんでも感鼎談

 

今月号の文藝春秋石原慎太郎村上龍綿矢りさによる三者対談が載っていた。いずれも稀に見る若さで芥川賞を受賞したという共通点を持つこの3人が、受賞時のエピソードを語り合い、簡単に文学論を交わすというもの。話の内容をまとめると、以下のような感じ。


・私たちは三人ともルックスが良い


芥川賞の選考は意外と自由な議論ができるし、余計な政治性もないので、文学賞の中ではやっぱりいい賞だ


・十代の終わりから二十代の前半くらいにしか書けない文体があると思う。年をとるにしたがって文章の浮かんでくるスピードが遅くなる


・文学とは、読み手を不安の中に突き落とし、自身を問い質させ、そこから今ある生活を考えさせたり、何かを最初からやり直したいと思わせる力を持つものだ


・どちらかというと、今はそうした不安や居心地の悪さを残すものよりも、読後に心がきれいになるような浄化作用のあるものの方が人々に求められているような気がする


・昔に比べると、今は表現活動に向かう契機そのものがなくなってきているように思える。表現すべきことが見つかりにくい現代において、作家に残された唯一の文学的契機は自身の中の「心の揺らぎ」ではないか


・人間の精神は本質的に常に過剰であるため、この先さらに医療や科学が発達したとしても、人間は生きる上での不安や矛盾や摩擦といった悪夢から解放される日は来ないだろう。文学は、人間がこうした特有の悪夢と向き合うためのメディアとして機能し続けていくのではないか

 

なんというか、今までに何度も言われてきたことを改めてこのメンバーで分かりやすく繰り返してみたような感じの対談だったのだが、その中でも文学的契機のくだりでは比較的熱が入っていたような印象があった。やはり書き手にとっては一番切実な問題だからだろうか。
しかし、読み手としては、書き手よりも読み手の契機の方がヤバくなってきている方が問題ではないかと思った。人間がこの先も悪夢を見続けるとしても、そこで小説を読むことを選ぶ必然性はどんどん薄れていってるような気がするからだ。


ちなみに最初の「私たちは~」というのは、村上龍がひとりで勝手に言った冗談です。

 

 

 

 

その他のこぼれ話


石原慎太郎が受賞したときは今のような受賞パーティーなどはなく、文春の社長室で賞金をもらってビールで乾杯するだけだった


村上龍が受賞した頃は年に一度、文士劇というものがあり、文春の読者を招いて作家がシェイクスピアなどの劇をしていた


綿矢りさは一時期ひとりで家にこもって小説を書くのが苦痛になったため、出版社に行ってデスクの一部を借り、ガヤガヤした環境の中で二ヶ月間通って小説を完成させたことがある


石原慎太郎は今、どうしても書きたい長編小説が七本もあるが、人生が間に合わない気がする


・結局みんな、世の中に対してあまり言いたいことはない

 

 

 

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2007年2月に文藝春秋を読んだ時の感想だ。

 

「文学とは、読み手を不安の中に突き落とし、自身を問い質させ、そこから今ある生活を考えさせたり、何かを最初からやり直したいと思わせる力を持つものだ」というのは村上龍の発言だったような気がするが、これには今も深くうなずける。何度でも立ち返ってよい認識だと思う。そしてこの当時で既に「今はそうした不安や居心地の悪さを残すものよりも、読後に心がきれいになるような浄化作用のあるものの方が人々に求められている」という実感があったという事実について、考えなければならない。2018年の今日、その状況は全然変わっていないと言ってよいのか、ますます拍車がかかっていると言えばよいのか、もしくはもはや飽和しきってしまい別の方向に突き抜けた後だと言うべきか、ちょっと判断が難しい。俺は文学らしい文学に向かい合うことが少なくなったので、なおさら難しいのです。

 

そしてこの鼎談での「今は表現活動に向かう契機そのものがなくなってきている」という発言を受けて当時の俺は「読み手としては、書き手よりも読み手の契機の方がヤバくなってきている方が問題ではないかと思った。人間がこの先も悪夢を見続けるとしても、そこで小説を読むことを選ぶ必然性はどんどん薄れていってるような気がするからだ。」と書いているが、これも確かにその通りだ。2007年の俺は鋭い。俺よ、お前はその後さらに読み手としての契機を失くしていくよ、悲しいね。

mixi日記サルベージ3

2006年08月15日の日記

タイトル:お盆ですが 

 

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例によってサマソニに行ってきました。

サマソニとは、千葉は幕張で開催される都市型ロックフェスティバルです。いろんな意味でフジの対抗馬的な位置付けのフェスと言っていいでしょう。

今回、ビーチステージ(写真左)を初めて体験したのですが、これがかなりいい感じです。想像していただくと分かると思いますが、海辺で心地よい潮風に吹かれて、ビールを飲みながら音楽が聴けるというのはとてもいい気分です。未体験のかたは一度だけでも体験する価値ありだと思います。もし自分の好きなバンドが出演するのであればなおのことでしょう。フジでは味わえない開放感の一つが、確かにそこにはありました。

写真中央はアイランドステージです。前回はメッセの屋内ステージにあったのですが、今年はビーチステージそばのヤシみたいな木が生えている会場に移っていました。ここも雰囲気がよかったです。まさにアイランドという感じで、どうせなら最初からここに作ればよかったんじゃないかと思いました。コンクリートだらけのメッセの中にいるとさすがに気が滅入ってきますが、このアイランドとビーチとマリンスタジアムを交互に行き来するのであれば、意外と都市型とは言いながらも開放感にあふれたフェスとして楽しめるんじゃないでしょうか。


さて、マイベストアクトはというと、断トツで2日目のDJシャドウでした。
自分の想い入れが強かったせいもありますが、それ以上にパフォーマンスそのものが圧倒的で、思わず拳を握り締めてしまう瞬間が何度もありました。個人的に、ライブで聴いても彼の作り出すスネアとシンバルの音の響きは最高だということを確認できてとにかく嬉しかったです。弾力性や乾き具合、音の抜け方が絶妙で、なんかもう笑ってしまう程でした。聴いていると、やはり彼はキックやその他の低音を「絶対に不快に響かせない」という点で細心の注意を払っているんだな、と勝手に確信した次第です。ライブ中は近くで数人の酔っ払いがずっと騒いでいましたが、彼の音楽はそんなノイズをものともしない、確かな強度と凄みを持って全身を撃ち抜いてきたのでした。ちなみに写真右がそのDJシャドウのセットを準備中のマウンテンステージ(メッセ内)です。

 

以下、他に観たライブの感想↓


●65days of static
 CDはイマイチだったが、ライブは驚くほどよかった。
 最後にドラマーがイスの上に立ち、ドラムは叩かずに
 ひたすら踊っていたのが笑えた。


m-flo
 盛り上げ上手。さすが売れっ子。


EL PRESIDENTE
 名前は知っていたが、こんな楽しげなバンドとは思わなかった。
 もう1回観たい。


カーディガンズ
 『CARNIVAL』やってくれなくて残念。


くるり
 「TEAM ROCK」ツアーのライトハウス以来5年ぶりに観たが、
 岸田の喉の調子が本当に悪そうだった。『虹』やってくれた。


SCRITTI POLITTI
 これも名前を知っていただけだったが、なかなかよかった。


シャーラタンズ
 無茶苦茶かっこよかった!もはやフロアはマッドチェスター!
 フジのマンデーズといい、キャンセルのジョニー・マーといい、
 今年の夏フェスのテーマの一つはマンチェスターだったのか。


フレーミング・リップス
 音楽もさることながら、演出に度肝を抜かれた。
 オーディエンスを襲う数十個のオレンジ色の巨大風船、
 サンタと宇宙人のダンス、炸裂するクラッカー、
 そこへ始まった『RACE FOR THE PRIZE』!!かなりハイでした。
 曲が終わるたびに「アリガトウ」と裏声で挨拶するお茶目なウェイン。
 アンコールの『A SPOONFUL WEIGHS A TON』のドラムは
 やはり生で聴いても脳を揺さぶった。


ダフト・パンク
 リップスを途中で抜けて観に行ったら、入場規制で入れないという罠。
 またリップスに戻ってからマリンのメタリカ観に行きました。


メタリカ
 ちょっとしか観れませんでしたが、実際に目の当たりにすると
 「うーん、やっぱすげーわ」と言うしかないような、貫禄あふれる
 ステージだった。『ENTER SANDMAN』聴けました。
 OFF TO NEVER NEVER LAND!!


MUM DJ SET
 名の通りムームのDJセット。北欧メルヘンが感じられて、
 観てて楽しかった。
  

●TWO GALLANTS
 これが凄かった!!
 ギターとドラムのみで繰り出す、鋭く冷たく、かつ重厚感のある
 ポストパンサウンドと、ボブディランを彷彿とさせるような歌声。
 まったく恐ろしい二人組だった。遠目では40~50代くらいの
 おじさんに見えたのだが、調べたところによると僕と同い年
 くらいなようです。


ブンブンサテライツ
 これも5年ぶりに見たが、以前よりもギターロック寄りになっていて、
 緊張感や得体の知れなさがなくなっており、少し残念だった。


スパルタ・ローカルズ
 名前は知っていたが、意外と、というかかなりよかった。
 新しいんだけど80年代ロックの図太さと分かりやすさを
 持っているようなバンド。ブルーハーツを感じたりもした。
 ステージでの煽りも面白く、漠然とした可能性を感じた。


●BEACH CRUSADERS IS GOOD
 ビークルYOUR SONG IS GOODのセット。ビーチに合っていた。


アークティック・モンキーズ
 ウワサのバンドだが、微妙だった。
 歌の節回しのリズムは面白いが、曲とかリフとかほとんど同じ感じ。
 先入観を持ってるからそう聴こえるのかな。


MASSIVE ATTACK
 想像以上に隙のないかっこよさ。これでもかというくらいに
 キメキメだった。
 『TEARDROP』の歌声が不安定でちょっと残念だったけど、
 迫りくる音にとにかく圧倒されて、もう黙るしかありませんでした。
 彼らもドラムの音がよかった。

 

 

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フジの2週間後にサマソニに行ったんだった。これもですます調で書いてある。マイミクの中にはフェスとか知らない人もいたから、わかりやすく配慮したのだろう。それぞれの演奏については、読んでいるとまるで昨日のことのように思い出す。この年はいいメンツだったなあ。まだ洋楽が90年代的な強さを(かろうじて)引きずることが出来ていた時代か。

mixi日記サルベージ2

2006年08月04日の日記

タイトル: 先週末は

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フジロックに行ってきました。二年ぶりでした。

フジロックとは新潟は苗場で行われるロックフェスティバルのことで、広大な自然の中で一日じゅう好きな音楽が聴け、ビールも飲め、うまい飯も食えるという実に楽しい祭典です。当然、開催期間中は大量のゴミが生まれ、じゃんじゃん電気が使われ、二酸化炭素もガンガン排出されますが、それでもまた行きたくなってしまう、一年に一度の音楽の祭典です。

今年は曇ったり、大雨が降ったり、強風が吹いたり、最後にはおもいきり晴れたりして、まさにフジロックな天候でした。


左の写真は、会場の一番奥にあるオレンジコートというステージです。僕は今年初めてこのステージの魅力に気づきました。以前は隣にあるフィールドオブヘヴンというステージがフジロックのガス抜き的な位置付けだったように思いますが、今ではヘヴンに代わってこのオレンジがその機能を果たしている感じがしました。このステージがあることでだいぶ救われているものがあるのではないでしょうか。一番奥にあるというのがまたいい。

真ん中の写真はグリーンステージとホワイトステージの間にある川です。僕は毎年この川のほとりで休み、流れる水を見るのが大好きです。二年前に一度中に入って泳いだことがありますが、とても冷たかったので今年は足だけ浸かりました。水は相変わらず透明できれいでした。


さて今回観た中では、ソニックユースストロークス、iLL、ハッピーマンデーズ、レッチリ電グルなどが期待通りあるいは期待以上のライブを見せてくれました。また、初めて見たOOIOO、Magnolia、ジュニアシニア、GANGA ZUMBAOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDなどもかなりよかったです。

しかし、三日間を通してのベストアクトを挙げるとすれば、それは初日のアバロンのトリに出てきたマルコス・スザーノ沼澤尚内田直之with勝井祐二というユニットでした。とりわけ沼澤尚のドラムは凄まじいものがあり、ただただ絶句するしかありませんでした。さっそくアルバムを買いに行こうと思います。

 

 

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フジロック06の感想。なぜか小学生の日記のようなですます調で書いてある。でもこの年は雨も降ったけど本当楽しかったんだよなー。ソニック・ユースストロークスもマンデーズもマルコス・スザーノもよかった。しかしまあ、02年はジェーンズ・アディクション、04年はピクシーズ、この06年はマンデーズ、08年はマイブラ...と、結局ゼロ年代フジロックは「90年代回顧」も大きな軸の一つだったよね、そしてそれに頼りすぎたツケが後に来たよね、としみじみ思いました。

mixi日記サルベージ1

ひさびさにmixiにログインしてみたのだが、「こりゃもういつサービス終了してもおかしくないのでは?」と思えたため、自分の過去のmixi日記をこちらに転記して、自分でツッコミを入れることにした。

 

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2006年05月23日の日記

タイトル: 生きることは、舞に似ている。

 

今さらだが、今月の『テレプシコーラ』が凄かった。千花ちゃんの苦悩っぷりというか壊れっぷりが過去最高レベルに達していた。いつかこうなる日が来るとは思っていたが、こうして実際に目の当たりにすると想像以上につらいものがある。しかし悲しいことに、彼女がさらに本格的な苦悩の道を歩むのは、まさにこれからなのだろう。


「わたしはバレリーナにならなくちゃだめ?」


この台詞が、何よりも悲しく切なかった。真意はどうあれ、彼女がついにこんな言葉を口にするところまで来てしまったと思うと、何ともやり切れない。


テレプシコーラ』はダ・ヴィンチという雑誌に連載中の漫画で、簡単に言えば、姉の千花(ちか)と一緒にバレエを習う主人公、篠原六花(ゆき)の成長を描く物語なのだが、バレエに沿った話だけではなく、現代の日本社会に深く根を下ろしているようなリアルで重いテーマもその随所に盛り込まれており、バレエに全く興味のない人間であっても、ある種の独特な緊張感を持って読むことのできる作品である。絵柄からして、とりあえずは少女漫画に分類されると言っていいだろう。僕がこれまでに読んだことのある少女漫画と言えば、『あさりちゃん』や『お父さんは心配性』『天才柳沢教授の生活』『犬のお医者さん』といった、やや規格外な作品ばかりなのだが、初めてこの『テレプシコーラ』で少女漫画らしい少女漫画にひきこまれてしまった。ダ・ヴィンチで存在を知った6年ほど前から読み続けているが、その時から作品のテンションが全く衰えていないところが本当に凄い。


冒頭で記した千花ちゃんの苦悩は、バレエの公演中に脚を痛めたことから始まる。思い通りに踊ることができない体となった彼女は、脚を完治させるべく意を決して海外で手術を受けるのだが、なんとその手術にミスがあり、結果、舞台への復帰がさらに遠のいてしまうのである。人一倍バレエへの才能と情熱にあふれる上、自分に厳しくプライドの高い彼女は、今まさにアイデンティティ・クライシスの真っ只中。昔からの読者にとって、彼女のこうした姿を見るのが非常に切ない。最近では、少しずつ才能を伸ばし始めた妹の六花ちゃんがバレエを心底楽しんでいる姿を見て、嫉妬まじりの苛立ちをぶつけてしまう始末だ。あの妹思いの千花ちゃんが、である。マイペースで少し自分に甘いところのある六花ちゃんにとって、ストイックなクールビューティー才女の千花ちゃんは、姉でありながらずっと憧れの存在で、千花ちゃんもまたそんな六花ちゃんを可愛く思い、これまで励ましやアドバイスを続けてきたのだが、ここに来て二人の関係に不穏な変化が表れ始めている。こうした今の状況は、あらゆる意味で余りにも残酷だ。方法はどうであれ、読者は千花ちゃんが再び自信を取り戻し、舞台の上で優雅に舞う姿を望んでいる。間違っても、失意の末に壊れてしまった千花ちゃんが六花ちゃんを昼ドラばりに苛め抜くという展開は避けて欲しい。(なんとなくそうなる気もするが)


実は、この漫画には二人の姉妹だけではなく、同年代の様々なライバルたちが登場する。その中に、貧困、アル中、児童虐待、狂気といったへヴィな問題を抱える家庭に生まれ育った、須藤空美(くみ)という凄まじい少女がいる。『テレプシコーラ』の最終兵器と噂される彼女は、どういうわけか最近ストーリーに全く姿を見せないのだが、彼女には皆が度肝を抜くような劇的な再登場をすることを願ってやまない。


そういったわけで、山岸先生、どうかあと10年は連載を続けて下さい。

 

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どうやらダヴィンチ2006年5月号か6月号に掲載のテレプシコーラを読んだときの感想のようだ。

 

「あと10年は連載を」と綴っているが、残念、君の願いは叶うことはなかった。この年のうちに第一部が終わり、その後再開された第二部も3年くらいで終わってしまった。

 

そして「千花ちゃんが六花ちゃんを昼ドラばりに苛め抜くという展開は避けて欲しい」と書いているが、この後の展開はそんなレベルではないんじゃよ...

ヒムロックの「街」観

突然だが、BOØWY時代からソロ初期にかけての氷室京介の歌詞に登場する

「街」というフレーズを列挙してみた。(カッコ内は曲名)

 

 

「グレイの街」

 (FUNNY-BOY)

 

「汚れてるガラスの街」

 (ハイウェイに乗る前に)

 

「グレーに染まったこんな街」

 (WELCOME TO THE TWILIGHT)

 

「ガラスの中の退屈な街」  

 (季節が君だけを変える)

 

「乾いたこの街」

 (DEAR ALGERNON)

 

「錆びついた街」

 (ALISON

 

「汚れてるモノクロの街」

 (TASTE OF MONEY)

 

「ミステリアスな街」

 (PUSSY CAT)

 

「駆け引きだけの街」

 (STRANGER)

 

  

 

哀しい。なんと哀しいのだろうか。

  

グレイで、汚れていて、退屈で、乾いていて、錆びついていて、モノクロで、ミステリアスで、そして駆け引きだけの、ガラスの街。

ヒムロック「街」観はこれである。彼にとって「街」とは、間違っても自分を肯定してくれるような場所ではないのだろう。

 

都会的な恋を歌う、という点に「おいては」共通しているB'zの歌詞と比較してみても、差は歴然である。

 

 

「忙しい街」

 (LADY NAVIGATION)

 

「夕焼けの街」

 (ALONE)

 

「寂しい人ごみの街」

 (もう一度キスしたかった

 

「ぎらぎらした街」

 (ZERO)

 

「ウワキな街」

 (BLOWIN')

 

「慌ただしく踊る街」

 (いつかのメリークリスマス

 

「並んで歩いた街」

 (MAY)

 

 

 

 

全然違う(笑)。

 

B'zの、というか稲葉の詞は、街に対して思うところはあるものの、なんだかんだで順応し、その時々の恋とともに、街を生きている。生きることで、街に表情を与えている。

(一つとして同じような形容詞がほぼ出て来ないところが、稲葉のマジメさでもある。)

 

ところがヒムロックの詞は、ガラスの街と馴れ合っていくことを良しとしない。

別に「憎悪の炎で街を焼き尽くす」ようなところまではいかないが、街に対して冷めた視線で溜息をつき、諦めの中にいながらも、反抗を続けるのである。

 

 

もう眠いから今日はここまでにするが、ヒムロックのこの「街」観こそが、もう一つの彼のテーマである「痛み」とともに、彼の表現の根底にあると私は見ている。

 

 

Zzzz

 

※ちなみにDreamin'に「ボルト&ナットのしくみで組み込まれる街」というフレーズがありますが、これは布袋と松井五郎の作詞のため外しています。

※MARIONETTEの『嘘を呑み込み静かに眠ってるMAD City』を入れてもよかったのですが、今回はシンプルに「街」だけを並べました。しかしこの「City」観も似たようなものというか、さらに哀しいですね。