突然だが、BOØWY時代からソロ初期にかけての氷室京介の歌詞に登場する
「街」というフレーズを列挙してみた。(カッコ内は曲名)
「グレイの街」
(FUNNY-BOY)
「汚れてるガラスの街」
(ハイウェイに乗る前に)
「グレーに染まったこんな街」
(WELCOME TO THE TWILIGHT)
「ガラスの中の退屈な街」
(季節が君だけを変える)
「乾いたこの街」
(DEAR ALGERNON)
「錆びついた街」
(ALISON)
「汚れてるモノクロの街」
(TASTE OF MONEY)
「ミステリアスな街」
(PUSSY CAT)
「駆け引きだけの街」
(STRANGER)
哀しい。なんと哀しいのだろうか。
グレイで、汚れていて、退屈で、乾いていて、錆びついていて、モノクロで、ミステリアスで、そして駆け引きだけの、ガラスの街。
ヒムロックの「街」観はこれである。彼にとって「街」とは、間違っても自分を肯定してくれるような場所ではないのだろう。
都会的な恋を歌う、という点に「おいては」共通しているB'zの歌詞と比較してみても、差は歴然である。
「忙しい街」
(LADY NAVIGATION)
「夕焼けの街」
(ALONE)
「寂しい人ごみの街」
「ぎらぎらした街」
(ZERO)
「ウワキな街」
(BLOWIN')
「慌ただしく踊る街」
「並んで歩いた街」
(MAY)
全然違う(笑)。
B'zの、というか稲葉の詞は、街に対して思うところはあるものの、なんだかんだで順応し、その時々の恋とともに、街を生きている。生きることで、街に表情を与えている。
(一つとして同じような形容詞がほぼ出て来ないところが、稲葉のマジメさでもある。)
ところがヒムロックの詞は、ガラスの街と馴れ合っていくことを良しとしない。
別に「憎悪の炎で街を焼き尽くす」ようなところまではいかないが、街に対して冷めた視線で溜息をつき、諦めの中にいながらも、反抗を続けるのである。
もう眠いから今日はここまでにするが、ヒムロックのこの「街」観こそが、もう一つの彼のテーマである「痛み」とともに、彼の表現の根底にあると私は見ている。
Zzzz
※ちなみにDreamin'に「ボルト&ナットのしくみで組み込まれる街」というフレーズがありますが、これは布袋と松井五郎の作詞のため外しています。
※MARIONETTEの『嘘を呑み込み静かに眠ってるMAD City』を入れてもよかったのですが、今回はシンプルに「街」だけを並べました。しかしこの「City」観も似たようなものというか、さらに哀しいですね。